大河ドラマがずいぶんと進んできたので久々に歴史のブログでも書いてみるかなっと!
上の出来事が何をいいたいのかというと、こういうのが日本の宗教の特徴であるということなんですよね〜
大河見てる人はわかると思いますが、崇徳上皇は世の中をのろってなくなります。 しかもどんなふうに呪うか具体的にして 「王を民に引き摺り下ろし民を王にしてくれる!!」
と断言して亡くなるわけで
こののち清盛が天下を取り そして平家が滅んでも源氏が幕府を開き武家政権が成立してしまいまい
あたかも崇徳上皇の呪いは現実になってしまったわけです。
それから何度王位奪還を計ろうともついにかなわず…
そしてやっと王政復古ができるのが、それから約七00年後の明治維新になってなんです。
だから公家は、崇徳の御霊に敬意をあらわし 讃岐から京都へ御霊を移して丁重におまつり
したんですね。
鎌倉から始まる公家の歴史をみると まず源氏の将軍三代が絶えたときを機に、後鳥羽上皇
による反旗が鎌倉に対して翻る(承久の乱) が しかし 東国の武士(北条氏中心に)たちによってあっけなく鎮圧されてしまい しかも 北条氏によって流罪にされるという前代未聞の処置
を受ける。
まさに 民と王が逆転した瞬間です!!
さらに 鎌倉幕府の権勢が弱まったときに 鎌倉への不満武士たちを見方につけた後醍醐天皇
が倒幕に動く(建武の中興)いったんは倒幕に成功し権威を取り戻したかに見えたが、
結果 武士たちによる新幕府にとってかわられてしまう。しかも偽朝廷(北朝)までかってに
つくられてしまうのです。
がまだ公家は権力の座から降りたわけではないんです。
寺社があります。
この当時の寺社はとても権力(財力)がありました。 公家は次男 三男を寺社の座主や神主
の座にすえます。
当時寺社は日本各地に座(商売組合みたいなものでこれの許可なしにモノは売れません)や関
(川や道路などの交通機関で通行料を徴収する関門)を持ち そこを通るたびに税を徴収してい
ました。
当時宗教というのはたたりがあるということで大変恐れられていたし 武装もしていました。
それを一掃してしまうのが 織田信長なんですね!!
楽市楽座 関の廃止 宗教との対立 各地の宗教本山の虐殺は こういう背景から信長に
よって進められ 公家は財力 権力 勢力をそがれていきます。
最後に家康によって 公家諸法度 寺社奉行の制定が行われてとどめ!!
これを 当時の公家たちは すべて崇徳上皇から始まった 「たたり」としたわけです。
だから 明治天皇は 王政復古のときに 讃岐からわざわざ京都に崇徳を戻し、あのときの
処置は間違いでした! とわび 無事に王政復古できるよう祈願したというわけです。
これは たたりが本当にあるとかいうのではなく、日本というのはそういう宗教がある。
ということなんですね!
この宗教というのを無視して歴史を教えても 全く意味がないんです!
神社に祭られている神様はものすごい力をもっているとされている人
鎮守の神様と怨霊は表裏一体なんですね!
怨霊を大自然の力で鎮めて、鎮守の神様になってもらうというわけです。
いまだって日本人の心のどこかにこういうものって残っているんです。
だってそういう歴史と宗教の国なんですから!
歴史をきちんと理解し日本人とはなんなのか そして日本人としてこの国を誇りに
思えるような教育って大切だと感じます。
そういうことがきちんと盛り込まれた教育ができて初めて 愛国精神というのができあがって
くるんだな〜と思います。